かにみそさそり座

のーみそこねこね

空閑遊真という美しい存在

私は遊真が大好きです。正直自分でも引くくらい好きです。
ワートリにハマった理由のひとつでもあり、とても大きな割合を占めています。「ワートリで一番好きなキャラクターは?」ときかれたら彼を挙げます。みんな好きだけど、一番好きなのは遊真です。揺るぎなく。ワールドトリガーを人にオススメする時に、真っ先に語ってしまうのが「遊真が美しい」ということで、何かにつけ彼の魂を美しいと言ってしまうし、彼の生きざまを見るたび感謝の言葉が浮かぶ類の人間です。推し。
クソオタクなので遊真について考えるのが大好きです。でも遊真の魅力は複雑でなかなかまとめきれず、随所で遊真を好きな理由をつらつらと呟くように語っています。
常に「かわいいしかっこいいし魂もつよいし最高に美しい存在~~~!」というテンションで空閑遊真を見ています。
今回もつらつらと、遊真の好きなところを書きたいと思います。
ちなみに例に漏れず「空閑遊真」を書くためにいろんなキャラや事柄について書くし、全部ワールドトリガーの個人的な感想です。

 

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まず、遊真、第1話からいるんですよね。すごすぎる。
いや主人公のひとりだしふつうじゃん?て全然思えない……迅さんが1話1頁め・冒頭にいるのもつよくて好きなんですけど、チカちゃんも主人公で、彼女はとっても重要なのに2巻まで出てこない(1話トビラは別として)し、1話ってタイトル「三雲修」なんですよね。で、タイトルである修を「そうか オサムか」とニッと笑って認識するのは、空閑遊真なんですよね。

この時、冒頭に出てきた迅さんと重ねながらも、迅さんはいまだに修を「メガネくん」と呼ぶことから、空閑遊真っていまの三雲修を認識する重要な役割を担っていて、その役割は一貫して遊真が担っている。遊真自身がいまを生きている。いまを生きる彼を、読者である私が空閑遊真であると認識する構造がすごい。私は病院屋上信者です。


1話1頁め・つまり10巻第82話の夢での回想シーン・修と出会うのが迅さんで、彼も主人公のひとりですが、あのシーンは「例のペンチ」のすぐ後であることが私はめちゃくちゃ好きです。というのも、あの時ペンチを握った回想シーンの修は、麟児さんと一緒に近界にも行けず・チカちゃんが泣くのをはじめて見てしまい・トリオンという「才能」がないため正攻法でボーダーに入れず・トリガーを持たない/持てない、「三雲修」という弱い彼自身の在り方から唯一逃げたシーンだと思うからです。警戒区域に忍び込み、偉い人に直談判すればもしかしたら……なんて希望的観測で、真正面から自分自身で世界と対峙しなかった。
まず三雲修って3巻第21話で自分で語ったように、困ってる人を見過ごせない性質なわけではない。まったくそんないいもんではない。チカちゃんは近界民から一人で逃げまわってたいへん困っていた、だから麟児と一緒に近界に行きたい・行くべきだと思ったのにも関わらず、麟児に「本当に死ぬぞ」と言われて覚悟が決まらなかった、つまり弱いから自分が「そうするべき」と思ったことから逃げた彼が、泣いたチカちゃんを見て入隊試験を受けたけれど、才能で判断される世界だから落ちてしまい、それでもそんな才能のない自分自身にまっとうに向き合わず、本当に世界と戦わなきゃいけない時にトリガーではなくペンチを握った。現実から逃げて、信号機も動いていない警戒区域でバムスターに襲われ、迅さんに助けられるシーン。そのあとどうなったかまだわからないけれど、だからこそ迅さんは修を「メガネくん」と呼ぶんだな~と現時点では思うからです。今後どうなるかとっても楽しみなところのひとつ。

 

そしてだからこそ、第1話「三雲修」で修と出会う空閑遊真、とてもきれいな存在なんですよね。
遊真は修とはじめて出会う「学校」より先に「基地」を見に行っています。あの修の回想シーンでも「基地まで来てしまった……」と強調されていて、そこで修は「なんとか基地に入り込んで」と、才能で区分される理不尽な世界から逃げるような方法を取ったけれど、1話の遊真は遅刻してしまうけどそのあとふつうに学校に向かうんですよね。
私は同人誌のあとがきに「自分のあるべき場所を知ろうとする遊真が好き」みたいなことを書いたことがあるのですが、この「自分のあるべき場所」をテーマにきちんと動いていく遊真が私はとっても好きです!!!
父を近界で亡くし、父の言葉に従ってこちらの世界にやってきて、父を元に戻そうとする。1話の遊真には「自分がどうなりたいか」という思想がない。車に撥ねられても自分は大丈夫だから相手の車を心配するし、いちおう書類つくられなきゃだから名前も住所も答えるし、みんなが制服を着ているから自分も制服を着るし、校則で決まっているから指輪をしている自分が学校をあきらめようとする。遊真は自分の考えではなくて、その世界の理に則って動こうとするんですよね。

 

でも修は違う。「事情があるから世界が合わせろ」と発言する。修は「自分」という思想が強烈。自我がつよすぎる。だからこそ、遊真はだんだんと修の思想に触れていき、彼に興味を抱くわけで、それが私はとてもきれいだなと思う。遊真にとって修との出会いは純粋な自我の芽生えなんですよね。

5巻第43話でボーダーに所属した自分のことをサラッと「おれは近界民だから」という遊真がいて、14巻第120話でヒュースを四人目にするかどうかで「近界民だし難しいよな」と告げる姿に「空閑だって近界民だろ」という修。このセリフ、最初読んだ時ものすごくこわかった。修にとって近界民という遊真の一面は、玉狛支部にある近界民だろうとみんな仲良し~という思想ではなく、侵略者でもあるヒュースの一面と定義の上では一緒であるかのような描かれ方がされていると感じて……でも、修の世界の切り取り方は、世界の理が先にあってそれに自分が合わせる遊真のような考え方ではなく、常に「自分がどうなりたいか」が先に来るんですよね。だからヒュースが帰りたがっているという情報も絡めて、あのシーンなんだろうな、と思いました。

大規模侵攻後も遊真が玉狛第二として修とチカちゃんを手伝う姿勢を崩さないのも、遊真の動き方が、ウソを見抜くSEで世界の大枠を見極めてそこから外れずに行動するからこそで、そういうもんなんだろうな~~とぼんやり思っています。

 

「やり返さなきゃやられっぱなしなのがあたりまえ」の世界を、遊真は知っている。目には目歯には歯の理にかなった世界を見てきた彼は、弱いのに誰かのぶんまで肩代わりしようと首を突っ込んでくる修の考えがまったくわからない。誰かのぶんまで責任を取らないのは当然の世界で、自分以上の責任を負うことはない世界で、自分の力を見極めず勝手に戦闘に出たから、つよい黒トリガーによって殺されたはずだったかつての遊真。白い髪の遊真は、父によって自分の存在そのものが肩代わりされてしまった存在なんですね……

そんな遊真が、弱いのにチカちゃんのぶんを一緒に背負うつもりの修を手伝う。生きる目的がなかった遊真は、自分で、与えられた選択から、その在り方を選ぶ。遊真はつよい。

 

そんな遊真の生存を願うレプリカは、遊真が選択すべきことについて「それを決めるのは私ではない ユーマ自身だ」とよく告げますね。1話「周囲に気を配ったほうがいい、生身なら」→「事故ったのは急がせたから」→「その理由は遊真が作った」、5巻第43話「断ってよかったのか?」→「本気で近界民と戦うんなら 使うのはボーダーのトリガーじゃない 親父の黒トリガーだ」→「本部が黙っていない」→「迷ったら負けだ やばいと思ったら使うぞ おれは」など、遊真の身の回りの環境がどうしていまこういう状況なのかを遊真に問い続ける役割がレプリカだな~と思っていて、遊真の現在について遊真自身が確認する機会にレプリカが隣にいる。

遊真とレプリカの会話って本当に素敵で、彼らがお互いの意見によって世界にある自分を知ることが大半なんですよね。すごくきれいな関係で、私はふたりのそういうところがとても好きです。

 

9巻第78話で修の隣にいるレプリカは既に切られているけれど、遊真の隣にいる豆レプリカは「技術とか経験とかとはちがうとこ」でヴィザ翁に勝負をかける遊真に、おなじみの言葉を送ります。「いま」生きている自分の在り方から逃げずに「ユーマ自身」で、ヴィザ翁に「真っ正直すぎ」と思われるほど真っ正直な「一本道」に、換装を解いて、自分の生身すらトリオン体であることで勝利します。

第76話で遊真は「オサムとチカは?」とレプリカにきいて、レプリカは「めずらしくつまんないウソ」をつく。遊真がヴィザ翁より弱いからこそ、遊真自身の生存だけに集中してほしいレプリカらしい嘘。

けれど、逃げない覚悟を決めた遊真は、修とチカちゃんの生存の責任もひっくるめた遊真のまま、ヴィザ翁に勝つ。いまの遊真はつよいから、自分の戦いのあと、修のもとへ行く。1話の、「基地」のあとの「学校」のように、服を変えて。

そしてその時、レプリカは修の隣で修が勝つ提案をしていて、修はそれをチカちゃんを守るために、「死ぬぞ」と言われて麟児と行けなかったあの時とは違うトリガー起動した換装体の姿で、「覚悟は決まった」と言い放つ。そうして、換装を解き、弱い生身で辛くも勝つ。けれど生身の修は弱いから、レプリカはむこうへ行ってしまう。

ここが未来の分岐点。

第4話「オサム死ぬぞ?」という遊真のセリフ、麟児の「死ぬぞ」にもかかってくるのですが、修はこの時すぐに覚悟が出来ない。だから第5話で修の訓練トリガーを使って遊真がモールモッドを倒したあと、レプリカは修としゃべるんだろうな~と思ってます。遊真に対して「トリガーは絶対使うな」と釘を刺す修とレプリカの姿が、生きる目的を得たからこそ無断で黒トリを使った大規模侵攻の遊真にもつながるし、トリオン能力という枠組みの中で、死と覚悟によって同調する。

私、9巻が死ぬほど好きで、何度も眺めてしまうのですが、空閑遊真が空閑遊真であることから逃げない、誰かのぶんまで肩代わりしている姿は修から影響を受けているけれど、レプリカはそのとばっちりの部分なんですよね……その上、12巻第101話でわかるように、遊真にとってのレプリカは、「いま」を構成するために過ぎ去っていった過去の事象を語らう相棒なんですよね……

で、そこには当然、いまを生きている修が絡んでくる。遊真がいま生きている姿は、必然的に遊真が選択した「生きる目的」の道に沿って動くから、レプリカはその目的に組み込まれてしまう。

 

それでも、10巻第83話、私の一番好きな回、病院屋上のように、遊真はニッと笑うんですよね。1話で「そうか オサムか」といったあの笑顔で。弱いくせになんでもかんでも抱え込もうとするあの修が、遊真の笑顔を通して、自身の弱さを痛感する。責任を取れないのにあやまろうとする修に、「オサムがあやまることじゃない」と言う。遊真は修のこともチカちゃんのこともレプリカのことも抱え込んで「おれがレプリカに言ったんだ」と自分のことにしてしまう。「さすがおれの相棒だ」とレプリカをほめる。泣く以外に出来ることあるか?修も泣くし私も泣く。修の生き方を遊真が映している。けれど遊真はつよいので、「事情があるからって世界に合わせてもらうつもりはない」んですよね。世界のルールに則って、けれどそれを自分の選択だと認識して、生きる目的に組み込んでしまう。第83話はタイトル「空閑遊真10」です。

本当に空閑遊真は美しい。

遊真の美しい魂が死ぬほど好きです。

 

ヴィザ翁戦の遊真が選び取る自分自身であることから逃げない道は、修と出会ってこっちの世界のみんなが自分自身であることから逃げずに誰かと生きる姿を知ったからで、遊真がこっちに来たからこそっていうのもとても好きです……それは同時に、「自分がどうなりたいか」という思想がなかった遊真が黒トリ遊真であることからも逃げずに、この世界を自分で見極め、この世界で生きる目的を持ったことに繋がるし、1話はもちろん2巻の旧弓手町駅での三輪隊との戦闘と比較してもかなり変化したなと思います。

弓手町駅では三輪隊から逃げずに近界民としての自分を名乗り出て、修もチカも巻き込まない戦い方をしているんですよね。
それは黒トリの近界民である自分のみの在り方の責任を取る戦い方で、もうこの駅にやって来ない電車に例えられるように、黒トリ遊真がこっちの世界の人々と共に存在する居場所を得ていなかったからだし、迅さんと一緒に、現在も使われている降りてくる踏切を越えて、近界民である遊真も電車に乗せてくれる玉狛に誘われて、そこで過去からいまの自分の在り方を語り、修に生きる目的を示されることでこっちの世界の居場所を得る。
ボーダー玉狛支部という最寄駅を得た遊真は、修とチカちゃんと一緒のボーダートリガーという切符で電車に乗って向こうへ行くことが可能になり、一緒に行く約束をして……そういう流れるような道が、きれいに用意されているのが好きです。

 

一本道を生きているくせにその道が修に与えられた道だからこそとにかく真っすぐで、でもだからこそ道を持たなかった遊真自身が変化して生きる姿が眩しい。17巻第143話で葉子ちゃんにあやまる華さんと華さんのために変わることができない葉子ちゃんにとって、自分のぶん以上の責任を「あやまることじゃない」と伝えて互いに影響し合って一本道の中で変わり続けている修と遊真の姿がムカつくの、死ぬほどわかるんですよね……かなしいくらいに才能のないやつを迎合しない世界の区分が変わらないので、その中でどれだけ自分ルールで進んでいくかって、ペンチを持つ狂ったやつを隣に置いておくしかない。遊真は自分の世界の理を修に傾かせつつあるからこそ、いまの遊真のまま生きていけるんだなと思います。

自分のまま誰かと生きるさま、美しいです。

遊真はいろんな姿に変わるけれど、魂が一貫して美しい。

 

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また、いまの遊真が肉体を持たないこと・トリオン体というかりそめの器しか持たないことがとても好きです。
‪‪自分の選択によって死と対峙し、他人である父の力によっていまを生きる彼が、父の力の副作用である他者の価値観に基づく嘘を見抜く能力を継いでいるからこそ、自身ではなく他者を通して世界を選択する術を持つのが美しいです。トリオン体とSEによって、二重の他者を通していまの世界を生きている彼が「空閑遊真」であること、つよい‬……

‪いまの遊真の器は本質的に有吾であるということ、倒錯的で美しい……けれど本質的に有吾であることすら「空閑遊真」という存在を構成するものになっていて、その最たるものがヴィザ翁戦の遊真の逃げないという選択で……

殻を脱ぎ捨てるように勝つんだけど、気迫の中身もまた有吾のトリオンで作られた身体で、生身も他者のものっていう何が本当なのかわからない姿そのものが「空閑遊真」なんだな~~と感じられてすごい。指輪の中に死にかけの生身がある、けれどいまこの世界にあるのは、その指輪によって生きている白い髪の遊真である。

近界とかトリオン体というSF設定がそもそもマトリョーシカみたいに多層構造なんだけど、こうした根幹的な生命の基盤そのものを揺るがす設定を一身に背負う遊真はそれらが具現化されたキャラクターで、あまりにきれい‬。


ヴィザ翁戦での修とチカちゃんの危機から逃げるわけにはいかない遊真。かつての姿である黒トリだけでは勝てない相手に勝つ時の彼は、制服姿なんだ……どこかに所属する証の姿、1話の出会いの姿なんだ……
レプリカが向こうへ行ってしまった以上この線路から逃れられないから黒トリではなく黒いパーカー姿で屋上にいて、新たな隊服に身を包み、青い空の、行っていいよという信号機の色をして、玉狛第二のみんなで遠征部隊を目指しているんだ……美しいな〜〜本当に……‬

まぁそういう文脈とか抜きにしても、黒トリガー姿のフォルムがいちばん好きです。すっっっげ~~~~~かわいい!!!ひとめぼれでした!!!

玉狛第二の隊服もフォルムがかわいくて好きなんですよね。手がいい。手がかわいい。ゴチャゴチャうるせぇ!てくらい遊真の魂が美しい話してるけど、ふつうにデザインも最高なんですよね。にわとり~!色も最高!天才的にかわいいよね?見るたびかわいすぎてびっくりする。かっこいいし。かっこいいのもポイントですね。最高。

推しが素晴らしく美しくクールにキュートでよかった~~!!!世界、アリガト~~!!!

 

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つらつら書いていると何が言いたいかわからなくなるし、ワールドトリガーはAとBが繋がる、AとCが繋がる、BとCも繋がる、というような点がめっっっちゃくちゃ多いので、うまくまとめきれません。いいたいこといっぱいある。遊真いっぱい描いてる……好きだ……とにかく空閑遊真は美しい存在であるという話でした。この話まだまだ何度でも出来る。

空閑遊真は語りつくせない。大好きです。

 

あと今回ところどころ太字を使ったけどなんか違和感あるのでまたやりたくなった時以外はあんまり使わないかも。