かにみそさそり座

のーみそこねこね

ワールドトリガーは誠実だという話

はじめまして。そらゆめと申します。

個人サイトを一応持っているので、まとめのまとめはそっちにまかせ、ツイッターだけではまとまらない頭を気軽にかき混ぜる場所を持とうと思いブログを作りました。たぶんすぐ飽きる。
長文と散文、矛盾ばかり、同じ話を何度もします。すべての文章の主体は私で、文章を書くのがとても苦手なので、なんとか訓練しようという目的も兼ねています。あと、似たようなこといってる人がいるから私がいう必要ないよな〜〜〜と好意の表明をサボってばっかりだったので……やめようと思って……
拙かろうが自分の言葉で全力で「好きです!!!」ていう場所です。
 
初記事なので、いま超絶ハマっている、ワールドトリガーの誠実さが好きだということをつらつら書きます。本誌ネタバレあるかも。オチはないです。
 
 
 
はじめに、私はワールドトリガーが好きです!なぜかというと誠実だからです。誠実とはまじめで真心があることだと思っています。これは私が作品に惹かれるポイントとして最も顕著なところで、ワールドトリガーはずば抜けて誠実な作品だと思うので心底好きです。簡単にまとめると「それぞれが状況に対して考えて行動する」のが好きという話で終わりです。
 
 
 
私は幼少の頃からドラえもんを愛しています。これは母(※漫画やアニメに対して好印象を抱いていなかった)が幼少の頃の私に視聴を許した数少ない作品であると共に、とても誠実な作品だからです。
ドラえもんは「問題の提示」としてののび太、「発展の手段」としての道具、「関係の破綻」としてののび太と道具、「問題の再提示」としてののび太による理解、があります。そうでないものもたくさんあり、そうでないものも好きですが、幼少の私はこの起承転結の文脈を愛していました。
例えば、ジャイアンにいじめられたりテストの結果が散々だったのび太が、安息の場である自室でのんびりドラ焼きを食べているドラえもんの元にやってきて、「今度という今度はゆるせない!」「楽していい点とりたい!」と泣きついて道具をせびります。ここで私は既に大量の期待でワクワクします。どうしてジャイアンのび太をいじめたのか、どうしてのび太はゆるせないのか、楽することってどんなことだろう、この問題に対してどんな道具か出るんだろう、と心を躍らせながら想像します。
ドラえもんはポケットをガサゴソ、おきまりのSEと共に道具を提示します。私はドラえもんの説明を聞きながら、次はのび太がどんな失敗をするのかを期待し想像します。また、私ならこの状況でどうやって道具を駆使するか、というありえない(なぜならのび太は私ではないから)パターンを想像します。
大抵の場合、のび太ドラえもんの解説を最後まで聞かず、結果として道具の使い方を誤ります。関係の破綻です。幼少の私はこの段階に入ると、もう、脳みそがパンクしています。ここはいわば少年漫画でいう宿敵との対決のシーンです。ワクワクの絶頂ですが、「ここで終わればいいのに!」とは微塵も思えない。なぜならドラえもんは誠実だから。誰に?視聴者である私に。
誤って使用された道具と使用者ののび太の関係は、なんだかんだ決着をつけられます。結果としてのび太は痛い目をみたり、安堵したり、考え込んだり、いろいろと反応しますが、とにかく、問題を理解します。もしくは理解しようとします。私にとって、ドラえもんの最も誠実だと思うところはこの段階です。起承転結の結の部分。ある面に対して結末を用意してくれるけれど、決して全てへの正解を出さない誠実さがあるからです。パンクした脳みそは冷却され、本来の問題を再提示します。「君ならどうやって問題を解決する?」道具は問題を一面のみ取り上げて発展させるための手段であり、のび太ジャイアンのいじめに道具をこう使って対処しようとして使い方を誤ってこうなったよ、テストの点を楽して稼ごうとしてやりすぎてこうなったよ、あなたはどう思う?……という視点です。やさしい視点だな〜と強く思います。なぜなら、のび太は自身をなんだかんだ受け入れているから。ありのままの結果を堂々と見せてくれるので、ホッとします。そして不安になります。これはもっと恐ろしい事態になっていたのではないか?という余韻があるのです。道具の使い方を教えてくれるドラえもんが常にいるとは限らない、のび太がもっとひどい間違いを犯していたら、という想像から、私は慎重になります。そこで「良い悪いでは問題は終わらない」ということに気づきます。たとえのび太が間違えず復讐できたりいい点がとれたりしても、ジャイアンによるいじめが起こったことや悪い点をとったことは問題として残るし、道具という手段には欠陥があることが視聴者である私にはわかっています。そしてそれは「良い悪い」では割り切れない問題です。その上で、「君ならどうやって問題を解決する?」私は想像し続けます。正解は提示されず、求められません。
私はこの結の在り方がとても好きです。物語にもキャラにも状況にも視聴者にも誠実な作品だと思います。状況の結末として、物語の提示はあるけれど、万人に対する正解がないから。どこを切り取ってもいいから。切り取っても楽しいから。楽しい!そう、とっても楽しいんです。問題の提示、発展の手段、関係の破綻、からの、問題の再提示は、想像するのが楽しい!想像を否定されない!けれど、物語のある面に対してきちんと結末を用意してくれる楽しさ!!!このパターンに対してはこういう結末だけど、別の時は別の対応をするよ、という、一応の決着があるから、それが私には誠実に思えます。全てを投げっぱなしでないのが大切なポイントです。状況を一貫して提示してひとまず終わる。まじめで真心があるように感じて、信頼できて、楽しい。
私はそうしたドラえもん教育をされ、セーラームーンのほたるちゃんと神風怪盗ジャンヌのフィンとCCさくらのともよちゃんに一目惚れしジャンプとサンデーとちゃおを購読し他誌の作品も数多追いかけポケモンをプレイしてテンミリオンというブラウザゲームにより完全体となり、さまざまなことが起きて、ワートリを知って、今に至ります。これを書くと更に長くなるので今回は割愛。ちなみに漫画やアニメに好印象を抱いていなかった母との関係は、とても、やばかった。
 
ワールドトリガーは誠実です。
私は物語を考える上で、ある状況の中でこの人はこういう人、ということが、きちんと描かれていることがとても好きです。もちろんギャップ萌えといわれるものも好きです。そうした余地を含めて、この人はこういう人、という描かれ方がなされることに重きを置いています。多層的な構造を感じる物語がとても好きです。
ワートリにおいて最も信頼できると思うのは「キャラクターそれぞれが状況に対して自身の頭で考え動くこと」です。はっきりいいます。それが、たまらなく、愛おしいです!!!
例えば、やっぱり、三雲修による記者会見。いち読者である私にとってカタルシスを与えた回だと思います。(ちなみに少年漫画の文脈で最も興奮したのは「敵の位置を教えろ!」の回で、個人的なオタク宗派として好きな回は病院の屋上の回で、腐女子としては当真の「俺らにかかりゃ楽勝だぜ」の回です)
誰もが自身の頭で考えているシーン。いやワートリは常にみんな自身の頭で考えているけど……「万人のための答えは存在しない」「けれど僕はこういう答えを提示する」という結の在り方が、前述したように私は本当に好きなのです。既に物語の上で築いてきた状況があって、それを知っている読者である私は、だって修はあの答えを出す子だし、根付さんも己の答えを提示していたし、城戸さんはもちろん、林藤さんも忍田さんも唐沢さんも鬼怒田さんも自身の頭で考えて答えを提示していることを知っています。遊真も修母も名無しのマスコミたちも、みんな状況に対する在り方の答えを出していて、そこがすごく好きです。良い悪いじゃなくて、正解でもなくて、だからとてもまじめだと思います。(有吾さん曰く「正解はひとつじゃない」)何より説得力があることの嬉しさと鬱屈からの浄化がハンパじゃなかった。だって私と修じゃ考えることが全然まったく違う。倫理観の違う子を鮮やかに描くさまがすごいなぁと思います。失った自我の獲得だなぁと思って、作者のキャラへの真心が込められているんだと強く思わされました。私は林藤さんの対応がこわくてすごいな、と思うのと、修母は強いな、というのと、それぞれの関わり方が顕著だな、ということを、考えたりしたけどこの話は置いておきます。
また、例えば、栞ちゃんがチカちゃんを甘やかす理由。私はレイジさんと同じような視点でチカちゃんを見ていたので、栞ちゃんの対応を疑問に思いましたが、次の回で明かされた「チカちゃんには自分を大切にしてほしい」という理由には感激しました。栞ちゃん栞ちゃんの頭で考えて、考えたことを実行しています。レイジさんはそれを踏まえて更に自分で考えます。そしてごはんに行きます。レイジさんの考え方が明かされます。この描かれ方に、こんなに丁寧な物語の掬い方があるのか……と私は頭を打ち付けました。あるひとつの状況をそれぞれがそれぞれで捉えていくことが、とても誠実だと思うのです。
きわめつけは、122話の木虎による修への言葉。多面的な面白さのある作品なので、毎回別の視点から面白いと思うのですが、この回はしみじみと「万人のための正解はない」「あなたと私は違う」「人は誰しもあなたの思うように親切にするわけではない」「けれど頭を下げたあなたに私が考えていたことを教えてあげる」ということを考えてしまい、木虎なりの答え方なんだと思いました……すごく好きで、本当に、やばい。修の尋ね方に眉をひそめる木虎がすっっっごく好きです!木虎には木虎の世界があり、修は木虎の言葉を受けた上で、スパイダーを選択します。修が自身の世界を開いていく言葉や在り方がきちんと描かれていて、私は意味もなく何度も読み返して、じんわりと熱いものが込み上げます。随所の対処がすごく誠実なんです……まじめで真心があるんです……
 
全ての状況に対してキャラクターが自身の頭に誠実に行動します。「のび太のび太の頭でこの状況に対してこうやって道具を使うことで状況が変化する」という(一応)一話完結の思想が、ワートリでは「変化していく状況の中でそれぞれがそれぞれの頭で行動することで更に状況が変化する」という長編の思想として、不確定な世界でそれぞれのキャラクターが息づいている、という確たる世界があります。私はそこに更に誠実さ、つまり、まじめさと真心を感じます。
 
また、藤子・F・不二雄の「うちの石炭紀」という短編漫画の終わり方がすごく好きなのですが、これも、ワールドトリガーの物語への誠実さと似ていると思っています。簡単にまとめると、「家族のいない時にすごく頭のいいゴキブリを捕まえた主人公はそいつを飼うことにした、ゴキブリはメキメキと知能を発達させ、ついには主人公以上の頭脳を身につけて台所を占拠、最後にはゴキブリが仲間を引き連れて冷蔵庫をロケットに改造して空へと飛び立つ、主人公は冷蔵庫がなくなった理由を家族にどう説明するか考える」という話。いろいろおもしろくて重ね合わせたりするのですが、話そのものは淡々と状況のみを伝えてくれます。そして主人公はこの状況に対して自分の頭で考えます。結果として、何も答えを出さずに、ゴキブリたちによる理不尽な状況は空へと飛び立ち消えていきます。これが、ワートリの世界の描かれ方に似ていると思っています。修は世界に迎合されません。終始、修は自身のすべきと思うことをします。いざという時それができない人間である自覚があるから、考えて、行動して、別の世界を切り開こうとします。しかし世界はキャラクターを迎合しません。なぜならキャラのみでなく、世界の在り方に対してもまじめで真心があるから。だから、遊真はレプリカ先生と別れても修に笑いかけることができるのです。チカちゃんは人を撃とうとするし、迅さんは暗躍します。
 
そして私がいいな〜と思う、好きなところは、物語が多面的だからどこを切り取ってもおもしろくて、読者の方がそれぞれいろんな理由でワールドトリガーを読んでいること。私は頭が悪いので、考察やら資料としての読み解き方やらはまるきり出来ないのですが、頭悪い私は私なりにいろんな見方があるんだ!て思えるのが楽しくて仕方ないです。読み手の方もかなり誠実に、まじめで真心を込めて作品に向き合ってるんだなって思うことが多くて、単純にすごくて、だからこういうのを書いてるというのもあります。すみません。私も好きなものを好きといえるようになろう……
 
物語に対して、キャラクターに対して、状況に対して、読者に対して、葦原先生は誠実です。ワールドトリガーが誠実であることに私は安心し、とても信頼を寄せています。この作品を楽しめるのが嬉しく、今後も楽しんでいきたいと思っています。オチはないです。