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かにみそさそり座

のーみそこねこね おうし座です

与えられないレプリカと私のグダグダ


前回の話を引き続き。読んでくださった方ありがとうございました!
また思考の整理、自分のための記事、ただの感想のひとつです。たぶんこれからずっとそういう記事しか書けない。私はきちんとした文章を書けない。
そしてとても眠いので途中で終えます。



前回の記述を読み返して、どーーーしても訂正、というか削除したいところがあって、いっぱいあるんだけど、とりあえずひとつだけ。私は、迅さんの過去の領域について誠実に読んでいないです。適当な感想を書いてすみません。なんで書いたんだ……
ブログを書くために読み返す、という行程を踏んでいない(※マジヤバ終わりの見えない原稿中)ので結局きちんと読み込んでないですが、私は、「迅さんは三輪姉ではなく、現在の三輪の在り方を選び、さらに未来の修を選んでいる」ように読み取っていますが、解釈というより本当にただの「おぼろげな記憶の彼方の感想」を思い起こして書いているブログなので……思考の整理として機能したので良しとします。楽しいです!これが私の望んでいる私のための地獄だ……とサイコーに気持ちよくなってます!書いてよかった。



チカちゃんは過去→現在、迅さんは現在→未来、遊真は現在→現在へと変わっていく力を手にしていることに対する、修は「常に現在」、それに対するレプリカは「常に過去」の話。
この話をする上で、遊真と修の担うところの差異について、主体をどちらに置くかでかなり個人的に考えが割れます。今回は遊真を主体に置きます。なぜなら私は遊真担のクソオタだから……クソオタである私は凄まじいほどに強欲に、あらゆる可能性を、妄想を、萌えを、推しのために、掌中に収めたいのです……
この観点について私は答えを出せていませんし、あくまで今回は「遊真の選択によって修は遊真と出会った」「修は遊真に選択を与える側」だから、修が常に現在、というところを重視して、ダラダラグダグダします。ちなみに修と遊真の話ではなく、遊真とレプリカの話になります。なぜなら私は遊真とレプリカが好きだから……クソオタの業は深い。ネタバレありオチなし。

遊真は有吾さんと修によって現在を生きていて、遊真は有吾さんに与えられた現在から修に与えられた現在を生きています。このことについては前回書いたので割愛しますが、私は遊真のいってた「有吾さんと修の似ているところ」は「遊真にとっての現在を遊真に与えられる人物だから」だと思っています。このふたりが似ているという観点が遊真によって提示された文脈だから、そう思います。
修は「いざという時」すべきと思ったことをできない自分を知ってるから、「いま」すべきと思ったことを行います。持たざるメガネにとって、現在対面している問題に、選択する余地としての過去も未来もありません。現在の自分の力だけ。常に現在に留まります。この「修がいまを生きてる」っていうの、どのシーンでもそうだと勝手に思ってるから言葉にするのすごく難しいですね……例えばペンチのシーンでもそうなんですが、修はあの時「こうしなければ状況が変化しないと思ったから」ペンチを持ち出せたんだと思うのです。(その後のことは迅さんの領域なので私は葦原先生の手のひらの上で転がされたい……と思ってます)修について唯一「いざという時そうできない自分」を感じたのって、修が「チカちゃんが泣いてるのをはじめて見たシーン」ではないか、と現時点では思ってるのですが、「あの時麟児さんと一緒に行けなかった自分」のことだよね?と思ってるけど、修担でないので誠実に読み取っていない気がする……でもやっぱりそれ以外の場面で修は常に「いまその時」にあり続けているように思います。記者会見でいってたように、「やっぱりそうした」道を行くから、いま持つ力のみでそれを選択するから、結果として状況に変化が起こらない。なぜなら修は世界に迎合されないから。だからスパイダーの選択がとても熱かった!修が明確に世界に適合したシーンて感じました。人のための状況を与える、「与える側」の「やっぱりそうした」道なんだけど、でも、スパイダーの選択って世界が開けていく感覚があった。きちんと木虎の世界に頭を下げたからかなって思ってます。ちなみに、有吾さんが遊真のために黒トリガーを作ったのは、有吾さんがその時、「いま」、そうしなければならないと思ったからだ、と思ってます。

そして私は遊真とレプリカの関係に死ぬほどもえてるオタクなので、「レプリカは遊真にとって有吾さんではない」「レプリカは与える側ではない」というところがものすごーーーく好きです!私はレプリカ先生は「空閑有吾のレプリカ」ではないと思っています。遊真に現在を与えられないレプリカ先生は、有吾さんの完全な複製品ではないからです。けど同時に、偽物で、模造品なんだな、と強く思えたので、アニメのふたりの声優が一緒だったのは死ぬほど嬉しかったです!私は遊真とレプリカについてはかなり過激派の自覚があるので何度もいいますが、レプリカは「遊真に元に戻ってほしい」という願いを抱いている自律型トリオン兵で、遊真の生存を願う存在ですが、とにかく、遊真にとっての生きる目的を遊真に与えることができなかった存在だ、と強く思っています!!!ボーダーにおいても近界の地図を広げる役目を負い、読者にとっても近界民であるヴィザ翁の口からどういう物なのか言及される存在です。レプリカはその性質から、常に近界を思わせる存在です。更に、レプリカは玄界から近界へ消えることによって、遊真・修・チカちゃん・迅さんなどにとって完全な過去の存在となります。もちろんアフトの方に、レプリカ主体に視点を変えれば、レプリカは現在も生きているそうなのですが(遊真は栞ちゃんに頼んでこの答えを選択しました)遊真はボーダーのトリガーを握り、「A級になり」「玉狛第二で遠征部隊になる」ことを目標とします。遊真は修に与えられた生きる目的を継続しながら、「A級目指す理由が増えた」と、レプリカ先生を、修から与えられた自身の生きる目的の理由に組み込みます。更にこの組み込まれた理由としてのレプリカは、レプリカが選んだ状況ではありません。なぜならレプリカが半分に割れてアフトの船に乗って行ったのは、修の戦闘に遊真がレプリカを送ったからです。そしてこの状況の選択さえも、遊真は修によって与えられているのです。修に力がなかったから。
でもサイコーなことに、遊真はレプリカが消えた責任は自分にあるといい切ります。確かに選択したのは遊真です。レプリカが向こうに行き、修とチカちゃんがこちらで生きることを選んだのは自分だ、と言うのです!なんっっってサイコーなんだろう!地獄だ!!!何度考えてもこの遊真の発言はサイコー!!!(クソオタ発狂)遊真はウソをつくことがどういうことか知っています。だからこそ、屋上のシーンで交わされた発言について、私は何度も考えます。遊真はウソをついていないのだ……という考え方をするたび、この子は、本当に、強い!!!と、私は何度も泣きます。何度でも泣く。だからここで修も泣くんだなと思う。ここで修が自分の非力さを泣くのは、修の非力さによって状況を選択した遊真が、選択された現在を強く生きているからだ、と思って、私も泣いてしまうのだ……
レプリカ先生が常に過去であるのは、状況の選択を遊真に委ねているからです。自身での判断を伝えません。レプリカが遊真につまんないウソをつくのは、遊真にとっての生きる目的である修とチカちゃんのピンチについてだけです。そしてこのウソは「遊真がヴィザ翁との戦闘に集中できないと最悪死ぬから」ついたウソです。レプリカは遊真の生存を願う存在だから。状況に対して、レプリカはただただ遊真に提案をします。レプリカが遊真に提案したから、ふたりは過去に共に存在していたのです!夜のふたりの時間は確かに存在していたのです!レプリカは!与えられないけれど!遊真と!過去を!共有することができる!!!
ここで更に考えねばならないのは、遊真にとっての「夜」です。林藤さんとの夜のシーンがめちゃくちゃ好きなんです……が、いますごく眠いので、書きません。

眠いのでまた消化不良で記事を終えます。なんか何書いてるのかわからず書いてるのですが、自分の考えの整理って本当に難しいんだな……馬鹿なので永遠に答えを出せないのですが、でもつらつらダラダラ書いて、やっぱり遊真とレプリカはサイコーだな、と改めて思いました。これ誠実な記事じゃないのであとで読み返して自分をころしたくなるやつです。おわります。アニメまであとじゅうごふん……