かにみそさそり座

のーみそこねこね

遊真とチカちゃんと迅さんとSEとトリガーと私のグダグダ

個人的な思考の整理のための記事です。同じ話を何度もします。

今回はワールドトリガーが好きな話というより単純な思考整理のための記述です。前回は初記事なので、できるだけ大きめなところからワールドトリガーに対する好意の表明をしました。読んでくださった方ありがとうございました!
ただ、私は文章を書くのが苦手なのと、自分の意見を自信を持って受け入れることが苦手なので、(だから各キャラがそれぞれの頭で考えて行動するワートリがスカッとして好きで、更にこの問題に関する鳩原という話も好きなんですが)私の好意はただの読者の一意見です、とすごく念押しします。
今回は特に、自分に話を落とし込むための「ねえこれについて私はどう思う?」「私はこう思うよ〜」という記事、構成もクソもない長文散文クソオタ自問自答です。私の中でも正解はひとつじゃないし完全な正解があるかもしれないけど私には読み解けてない……頭の悪いただのいちクソオタクソフジョシなので万人のための正解である答えなんて出せません……でも書きます。
共感を得る目的で書いているブログではなく、私にとっての地獄の形成をしています。それがたまらなく好きなので!私の萌えは誰かの萎え。誰かと似たこといっててもこれは「私のワートリへの好意の表明」でこれは私の世界です。考えをたくさん文字に起こすようなブログをつくるのが久しぶりでうまく個人的な好意の表明をすることができてなかったらすみません。
長々と先制ブロックな弁明してすみません……私はただのクソオタクソフジョシです。



前回「状況に対してそれぞれが考えて答えを出す、ワールドトリガーの誠実な起承転結の結が好き」という話だったので、付随することからぐるぐる言葉にしていきたいと思い、今回は「発展の手段(起承転結の承)」を書きます。ワートリの起承転結の承っていっても、まず起の数からして死ぬほどいっぱいあるし、長編という物語の性質上「ある面では結である事柄が別の面では起である」ので……や〜〜〜もう、そこがサイッコーーーに気持ちいいんだけど……!今回は承として捉えた「遊真と迅さんとチカちゃんのSEとトリガーによる在り方」の一面に絞り、ただの「感想」を書きます。キャラクターの一面のみを切り取った話です。はじめにいうと、私はいちオタクとして遊真担であるという自覚があります。あと別にこれ書くために読み返したりしてないので、すごく曖昧なまま自分の読んだ記憶のままに感想を書いてます。ネタバレありのオチなし。

まとめると「SEやトリガーはキャラクターが問題に関しての選択をする幅を増やし、自身の在り方を発展させるためのひみつ道具」という話です。のび太に対する道具です。
SEやトリガーという発展の手段によって、キャラクターに提示されていた問題が変化し、選択された新たな世界へと移り、そこから更なる選択の世界への想像の橋がかかることがめちゃくちゃ楽しいです!ていう感想を、つらつら書きます。



遊真は有吾さんの黒トリによってSEを得ているため特例ですが、トリオンが多い人には副作用としてSEがある場合があり、作品の主人公四人のうち修を除く三人、遊真とチカちゃんと迅さんにはSEがあります。なぜか?三人は自分の存在そのものに「SE」という「力」を持っていることで、修よりも状況を選択することのできる点で差別化がなされているからだ、と私は思っています。修にとってはじめて得た「力」は「トリガー」で、その力によって現在(本編時間軸)自身の世界を切り開くためにあらゆる状況をたくさん選択し、常に「いまこの時」を過ごしています。過去(麟児さんとの回想)の修には玄界の日常から新世界である近界への選択権がありません。(これに付随する「修は持たざるメガネだからペンチを握れた」「麟児さんはトリガーを手にしてから消えた」「ボーダーは架け橋として機能するか」という話は絶対まとめられないので今回は置いておきます。なお私は修はSEを得ることはないと思っていますが、本編で得ることがあったらそれはそれです)

まず、力を持っている自分自身で選択してきた「過去」があり、選択した結果である「現在」があります。選択された過去→選択された現在。これが顕著なのは、チカちゃんだと思います。
チカちゃんは初登場時「トリガーを持たないけどSEによって近界民という敵の存在を感じる子」でした。別世界の象徴である近界民に、物語として干渉する力であるトリガーを持っていないけれど、SEという存在の副作用によって近界民に駆け寄るか逃げるかを選べる子です。修はボーダー入隊を果たすまで日常からの逸脱を果たすための選択権を持っていませんでしたが、チカちゃんは別の世界に対する選択権があります。そして、かつて「逃げる」を選択し友達と兄を失ったと思っているが故に「駆け寄る」が干渉する力は有していないため「気配を殺して自分を空っぽにする」子。私はここに「あわよくば干渉することができるのでは……」みたいな姿勢のチカちゃんを感じてます。かわいい……ッ!この頃のチカちゃんには「近界民の出現=問題の提示(起)」と「SEによる接近or逃避の選択=発展の手段(承)」の構造があり、更にがんじがらめの思考回路による「承の行き詰まり」があります。(想像の余地として、近界民に食べられちゃう、という手もありますが元も子もないですね)チカちゃんは、SEの選択をし尽くした過去→新世界の引き金であるトリガーを得る現在、の顕著な例です。
チカちゃんのSEがトリガーを得る前と大規模侵攻のはじめくらいしか明確に描写されていない(※出先で記憶で書いている曖昧な記事です、ここは特に後日要検証かも)のは、「チカちゃんの世界」の発展には「トリガーの力」が必要なためだと思います。チカちゃんには「修という持たざるが故の起」と重なる面があって、やり尽くしたSEという道を選択しなくていいように、トリガーという新たな道があります。「行き詰まったチカちゃんのSEという起」に対する「トリガー」、つまり新たな「発展の手段」の選択が増えていく面があり、そこが私はすごく面白いです!興奮します!
例えば、はじめてのレイジさんによる課題に対してずーっと打ち続けていた姿勢であったり、大砲みたいな威力の狙撃だったり、大規模侵攻の時のトリガー臨時接続だったり、ライトニングによる鉛弾の試行錯誤だったり……チカちゃんはトリガーとの関係を丁寧に描かれてるのが面白くて好きです。彼女にとっての新しい世界の提示だ〜〜〜!ってめちゃくちゃ興奮します!
(別の話ですが、麟児の失踪に対して泣くだけのチカちゃんは無力でかわいい!SEによる選択権があるからか、チカちゃんはボーダーの力を得る方ではなく空っぽの日々を過ごす在り方で自身の世界を閉ざしていたんだな〜と思いました。修は最初チカちゃんのボーダー入隊に反対するけどチカちゃんはちゃんと自分の考えによって自身の世界を開きます。チカちゃんは玉狛第二にて言葉をきちんと交わさない、思考の表明を言葉で行わないところもあって、そこも面白いです。人を撃てない問題で改めて思いましたが、チカちゃんはサイコーにこじれた精神とサイコーに屈強な意志を持つ印象があります。私は心底チカちゃんが好きです!)

また、力を持っている自分自身で選択してきた「現在」から、選択するための「未来」という面があります。選択された現在→選択される未来。迅さんはこの面でめちゃくちゃ顕著な存在ですね。
迅さんのは未来を選択し切り取ることでワールドトリガーの物語そのものを発展させていきます。その性質上、遊真やチカちゃんのSEよりずーっと多くの選択のパターンを有しています。この作品における中枢的な視点であるボーダーの対策の主軸が迅さんの未来視頼りなこともあるし、(城戸さんの目的に沿うことで了承を得るなど、選択に別の人の思考を取り込むことで交渉をしていて、巧みだ!すごく面白い!)読者としても迅さんの選択に身を委ねるしかないところがあります。迅さんのSEは本当に物語の発展の上では便利ですね……力が力として物語の根幹に活かされています。
しかし、迅さんには母と師匠を失った過去があります。これはなぜか?正直私にはひとつも答えが出せません。迅母については嵐山さんから三輪への発言のみで亡くなった時期が不明瞭なためなかなか判断しづらいですが、いや最上さんも判断しづらいけど……迅さんが風刃という黒トリガーの力を得る未来を選択したから?SEとノーマルトリガーの力のみでは最上さんの死は避けられない未来だったから?また、迅さんは三輪姉の生きている未来を選択しない現在を進んでいます。これもどうしてなのか迅さんからの視点ってあんまり感じたことないような……(別の話ですが、迅さんは修のことを助けて、選択しています。反対に、助けていないのか助けられなかったのかはわかりませんが、三輪姉の存在する現在は選択されなかった道です。修と三輪はお互いにそれを知らないけれど、読者である私は知っていて、修が三輪にチカちゃんの生存を委ねようと頼むシーン。三輪は修を蹴ります。この見事な地獄の形成に、クソオタの私は喜びのあまり発狂しています)
迅さんは万能ではありません。その象徴的なエピソードとして、スコーピオンを作った話が、私は本当に好きです!トリガーを発展の手段として、未来への更なる力として描写しています。また、執着して勝ち得た師匠の形見である「風刃」という力を、迅さんは自ら手放す未来を選択します。理由が理解できない風間さんに対して「最上さんは怒んない」という迅さんと、風間さんの沈黙の描写。玉狛に戻ってベッドに寝転ぶ迅さんは「未来はもう動き出してる」と呟きます。この流れ!SEの未来視の影響力が強すぎて、迅さんはトリガーの力をSEの方に委ねています。万能でないからこそ、より盤石な世界を築こうと暗躍しているように思いました。
迅さんは現在から未来への存在である反面、ノーマルトリガーで太刀川さんと戦っていた頃のことを「楽しかった」といい切る面や、大規模侵攻後に修母に頭を下げる面があります。一話冒頭や三輪姉のシーン同様、誰かの過去の領域を担うことが描写され、キャラクターの説得力を増します。更に、切り替えられない迅さんに唐沢さんは言葉をかけます。唐沢さんはラグビーやってたからね。私はここのシーンがすごく好きです。地獄だ、と思いました。迅さんは現在に在りながら未来に半身を委ねている人ですが、未来へ進めている歩数ぶんの過去を同時に背負います。なので、迅さんについては常にワクワクしてます!物語に干渉しまくれるキャラなので、ずるいと思うし、ア〜〜〜全部葦原先生の手のひらの上だ〜〜〜と強く感じることができるため、出る度「サイコー!」と叫んで発狂したくなります。

遊真は更に差別化されています。有吾さんの黒トリガーによって有吾さんのSEを得ます。不思議です。遊真は玄界の人間ではなく、近界民です。そこが、とっっっても、好きです!!!私は遊真は常に自身の「現在」を変化させていくキャラクターだと思っています。現在→現在。
遊真は常に死にかけです。本来なら死ぬはずの肉体を黒トリガーという力によって生きながらえている、特異な存在です。(「どんなキャラクターだって常に死の可能性があり、隊員はトリオン体という殻を持っている」という話は今回の話からズレているため割愛。私は遊真の黒トリ体は通常のトリオン体とは別のものと思っています)近界で力によって殺されかけ、力を失い、有吾さんの死と引き換えに黒トリガーという力を得て、「有吾さんを元に戻す術を探す」という目的のみで玄界へとやって来ている。はじめて修と出会った時の遊真は、黒トリガーによって「こちら」に干渉する近界民という作中の立ち位置です。それは遊真によって選択された現在でした。有吾さんから与えられた目的が見つからなかった遊真は、修によって新たな生きる目的を与えられます。そしてボーダーに入ってトリガーを得ます。遊真は与えられた現在から選択した現在へと生存を続けています。なのでレプリカ先生はいいます。「それを決めるのは私ではない ユーマ自身だ」
レプリカなき現在、ユーマは黒トリガーを身に纏いません。もちろん現在の遊真は近界民としての面ではなく、ボーダー隊員として存在しているからです!玉狛第二の隊服でスコーピオングラスホッパーを駆使して現在を生きている遊真に、私は、ここに、とてつもなく、興奮しています!!!すごく!!!サイコー!!!って思う。だって病院の屋上のシーンがあるから。遊真は常に現在を選択しています。クソオタなので遊真本当に好きです……
ある状況下でキャラクターはそれぞれ頭を働かせて、何かしらの言動を行います。フキダシやコマの描写あるなしに関わらず、コマとコマの間やカメラに映されていない場所においても、ワートリのキャラはそれぞれが生きています。前記事でぐだぐだ言いましたが、こうした群像劇の世界で、遊真はSEによって相手の嘘を見抜くことができます。相手のフキダシは遊真にとって「自身の現在を選別する材料」になり得ます。相手のフキダシひとつを切り取り、自分の中で発展させるためのもの、前回の記事でいうところの、のび太にとってのひみつ道具なわけです。「発展の手段」です。自分の考え、自分の世界を発展させるためのSE。現在の選択をするための道具です。遊真は嘘を見抜いて、相手の嘘に対して自分の考えを告げます。「つまんないウソ」だったり「おもしろいウソ」だったり、遊真は相手の嘘を自身の考えで判断し、現在の自分の在り方を選択します。そして相手に突き付けます。めちゃくちゃヤバイ……サイコーでは?と思う。誠実です。

既にSE所持者として明記されているキャラクターである、天羽・菊地原・村上・カゲ・陽太郎のSEについて(別の話ですが既に顔見せしているキャラがSE所持者として紹介されることを個人的にちょっとだけ期待してます)も、物語の現在の時間軸〜より以前に、自身の副作用との折り合いがある程度ついているように思ってます。天羽は上層部にSEのみの能力提供を行うし、菊地原は風間隊の隊員としてSEの聴覚を共有するし、村上くんはSEによる幼少期からの悩みを荒船と来馬さんにより解消していて、カゲは現在はSEで他者からの感情を判別して行動している、思ってます。陽太郎の動物と会話できるってSEは、遊真の怒りを感じ取るシーンやヒュースとの触れ合いのシーンがそうなのか……?と思ってるけど、私は陽太郎をこわいと思いすぎててあんまり気づいてない……すみません。ただ、なんとなく、SEは自分が自分であることの選択をするための判断材料なかんじがしてます。キャラクターの世界を発展させる手段です。

選択の世界に橋がかかる、とはじめに書きましたが、選択されなかった一面は読者の想像の余地であって、ワールドトリガーの本編ではないけれど、余地があるというところも含めてワールドトリガーという作品である、というところがおもしろいな〜好きだな〜という話でした。書いててよくわかんなくなってるので、唐突にやめます。思考の整理にならなかったし、文章を書く訓練も失敗しました。でも私はぐるぐる考え続けるのが好きで、それができるのが楽しいので……これはこれで私のための記事になったなと思います。あとで自分でツッコミたくなることいっぱいありそう。ツイッターだとあんまりダラダラ書けないから、こういうことできる場所としてブログ作ってよかったなとちょっと思ってます。でも馬鹿なのですぐ飽きる。
私は私のための地獄を形成するのが好きです。まとまらないのでおわります。